福山雅治(51)がデビュー30周年記念アルバム『AKIRA』をリリースしました。
AKIRA=明とは福山雅治の父親の名前です。
17歳のときに父親が他界してから父親について何度か曲を作ろうとしていたけれどできなかったようで、やっと完成したと語っています。
そんな福山雅治の父親アキラはどんな人だったのでしょうか。
福山雅治の家族関係についてご紹介します。
福山雅治の父親アキラはどんな人?
不動産業を営んでいましたが、あまり仕事をしていたことがなかったようです。
酒と麻雀が好きで、小学校の朝の登校時に通学路の商店街で一升瓶片手に怖そうな人が歩いてくると思ったら、なんと自分の父親で「ちゃんと勉強してこいよ!」と言われることもありました。
そんな破天荒な父親に対し福山は「格好いい」と思っていました。
福山雅治には父親譲りのところもあるようです。
「軽口をたたいたり、何でもすぐに冗談めかしたり。僕のお調子者なところは、父親に似たのだと思います。あとは猫背かなあ。昔、僕が初めてテレビドラマに出演したとき、母から連絡がきたんです。祝福してくれるのかと思いきや、『猫背はやめたほうがよか。父ちゃんにそっくり』と、ダメ出しの電話だったんです。腹が立ってすぐに電話を切りましたね(笑)」
父親とのエピソード
福山雅治が子供の頃のスーパーカーブームがありました。
その時のエピソードを語っています。
父ちゃんが『分かった。乗せてやるけん!』って言っこて、
本当に持ってきたの。
たぶん友達に借りてきたんだろうけどさ。
確かフェアレディ240ZG。『どうだ雅治!これがスーパーカーやぞ!』って。
子供ながらに超一流のではないってことは分かってたけど、父ちゃんが頑張ってくれたのがすごく嬉しくて。
そして福山雅治の音楽人生を支えたことばの秘密があります。
父親に頼まれたタバコ「LARK」がなくて遠くまで探しに行き帰るのが遅くなった時に「おまえは根性がある」と褒めてくれました。
この父に褒められたたったひとことの言葉が上京してから25年間ずっと支えになっているようです。
父親の被爆
福山雅治は父親の40歳の時の子どもで、長崎県長崎市出身なので両親は第二次世界大戦の原爆投下で被爆していることになります。
ラジオ番組で自身は「被爆二世」であるとコメントしています。
父親は被爆したことで日に日に体が弱っていくのではないかと恐れていたようです。
父親への思い
そんな破天荒の父親が病になり複雑な思いでみつめます。
「口では『いつ死んでもいい』なんて言いながらも、最期を迎えるときは無念な思いを抱えるものなのだと、苦しい闘病の果てに逝った父を見ながら悟りました。17歳にして、ある種の死生観が決定づけられた瞬間でした」
闘病が1年におよび病気に苦しむ父親にもどうすることもできず、看病に苦しむ母親も助けられず、子どもとしての無力さに虚しさを感じていたようです。
上京を決めた理由
福山雅治が父親の病室で無力さに苛まれている時に置いてあったギターを弾いていました。
苦しみから逃れるために曲を書いたことがきっかけでソングライティングでやっていこうと上京を決めています。
きっかけは父親AKIRAだったんですね。
アルバムのタイトル「AKIRA」
福山雅治は父の名前をタイトルにするかは迷ったようです。
デビュー35周年を期にやっと父親への思いを振り返ることができるたということです。
そのとき母親に連絡したら、『それはよかね。
母親の35年前に手作りしてもらった上品なコートもインスタにアップしていましたね。
自身が父親になって
福山雅治さんと、妻で俳優の吹石一恵の間には2人の子どもが誕生しています。
父親になった今、父親への思いというのがより一層深くなっているのでしょう。
母親にも自分の誕生日の日に「生んでくれてありがとう」とメッセージを送っています。
親になった福山雅治の一面がみえます。
まとめ
いかがだったでしょうか。
福山雅治のアルバムタイトルにつけられた父親アキラについて紹介しました。
新型コロナウイルスの影響で故郷長崎でのツアー・全国ツアーはすべて延期となっていますが、12月27日に初となるオンラインライブが配信されます。
どんな状況でも前向きである福山雅治の原点がみられますね。
楽しみです!!